1/3のタピオカ(山野莉緒)

最近、カラオケ屋さんでバイトを始めました。

私のバイト遍歴は、高校1年生の頃、実家のそばにあったというだけの理由で選んだ、イタリアン専門店のホールから始まります。
人生における記念すべき初バイトの地として、ここを選んだことは未だに後悔しています。他人に委ね支えられてきた人生を、これからは自らの手で切り開いてゆくために、人は初めてのバイト先で、お金を稼ぐということを学ぶのです。自分の時間や能力をお金に変え、残った時間をそのお金でより有意義なものにする。そういうことを学ぶ場所なのです。家でも学校でも部活でもない、社会という新たな空へ飛び立つための、いわば滑走路なのです。
その場所に、私はあろうことか、イタリアン専門店を選んでしまったのです。わかんないわかんない。わかんないよ。成田でさえどこでチケット見せるの?パスポートはまだいいの?搭乗までめっちゃ時間あるのに人混みに流されるまま荷物検査しちゃったけどどうしてたらいい?格安航空だとまだ出国してないのに外国人のスチュワーデスさんとお話ししなきゃいけないの?スチュワーデスって死語ですか?わかんないわかんない、な私が、いきなりフィウミチーノ空港から飛行機を離陸させろと言われても、まず管制塔がなんて言ってるかわかんないし、あ、管制塔は英語か、なんかあんまり上手い例えじゃなかったですね!
とにかく!
バイトの基礎も飲食店の基礎もなっていないのに、イタリアンの基礎なんかもはや知ったこっちゃないってことです!こちとら日本人としては、16年間積み上げてきた実績と信頼がありますが、イタリアなんて長靴の形と戦場にパスタ持ってって茹でるっていうヘタリアから得たウソかホントかわかんないような情報しかないですよ!
シフトの出し方を覚えながら、パスタの名前を覚え、賃金の締め日と支払日を覚えながら、ワインの名前を覚え、勤怠の切り方を覚えながら、デザートの名前を覚え、社員や先輩の名前を覚えながら、3ヶ月で変わる限定メニュー10品を覚え、先月までのメニュー10品を忘れたら、店長の名前を忘れました。
ある日の出勤前、母がお昼ごはんに出してくれたうどんを食べていた時です。バイトに行きたくない、家にいたいという気持ちが胸いっぱいに溢れて、口からうどんを吸って目から涙を流す、ところてんみたいな自分に出会った時、バイト辞めよう、と思いました。
その時から私が思っていることは、仕事の苦しみや悲しみが、楽しい時間や安らぎの時間に染み出して、日常的に辛いと感じるようになったら、それはやめ時だということです。だって、教えてあげるけどね、普通の人は、そんな風に四六時中仕事のこと考えたり、しないんだよ。びっくりでしょ。でもね、本当なんだよ。
一応、申し出てから1ヶ月間はきちっと働いて、私の初バイトは終わりました。限定メニューを今でもひとつだけ覚えています。ゼッポリーニという、イタリア産のなんとかとかいう小麦粉に瀬戸内海産のなんとかとかいう海苔を混ぜて、丸く捏ねて揚げたパンなんだかドーナツなんだかわかんねえ料理だけ。よそのお店に入った時、たまに見かけては少しズキッとして、でもなんとなく頼んだりもしちゃう、私にとっては、元カレの好物みたいな食べ物です。一緒にイタリアン行ったら、ちょっと探させて。

次に始めたのは、高校2年生の冬です。
部活動で最後の大会を終えて完全燃焼したあと、高校の最寄り駅で、居酒屋のホールのバイトを始めました。また飲食店を選んだあたり、完全に昔の男を引きずってますよね。
この頃には世界史を選択し、イタリアにも少し詳しくなっていました。イタリアの象徴といえばヴィットーリオ・エマヌエーレ2世です。サルデーニャ王国最後の国王にして、イタリア統一戦争に終止符を打ちイタリア最初の国王となった人物です。宰相のカヴールがなかなかの切れ者で、彼が支援したガリバルディという青年がガンバルディしてくれたお陰でいい感じに南部の統一が進んだりしました。すいません、世界史の先生に熱心に恋していた時代があるもので止まらないのでこのへんにしておきます。
このバイト先とは、随分長続きしました。高校を卒業しても、実家を出ても続けて、約3年。好きだったけど、先のことを考えられるような関係じゃなかったので、お別れしました。

その間にいくつか、単発のバイトを経験しています。
幕張メッセで鉄骨を運ぶバイト。
夏祭りのテキ屋を作るバイト。
豊洲のビルの中で面接会場を作るバイト。
スーパーで試食をすすめるバイト。
テストの採点、インタビュー、買ったもののバーコードを逐一送るやつ……。
この他にも、結構色々やりました。
飽き性なので。浮気性なので。ってことでしょうか。

大学1年生の夏から、インターンとして、銀座のオフィスで事務の仕事を始めました。インターンって言葉の定義が揺らぎそうですが、今も続けていて、とてもよくしていただいています。このままここへ就職したいくらい好きで、でも本当にやりたいことは別にあって、別れるタイミングが掴めないままだらだらしちゃってるみたいな感じです。好きだけど、好きだから、踏み切れない。

大学2年の冬から、パチンコ屋の遅番を始めましたが、バイト内の恋愛禁止なのに先輩と付き合い始めてしまったのでバックレましたし、これを機にヤニカスとパチンカスの二刀流になってしまったので、あまり触れられたくない過去です。ただ、終わったあと社員さんの車でラーメン屋に連れてってもらうのは楽しかった。火遊びみたいな思い出です。

やば。
ノリで始めたけどバイトって彼氏みたいなものなのか。今ちょっと衝撃です。でもそうか。人生は仕事と恋愛ですものね。うわー。

さあ、そうしまして、すみませんね、やっとカラオケバイトの話ができますわ。最近、カラオケ屋でバイトを始めたんです。
まあもう好きとか嫌いとかはいいですよ。今日、3時間でタピオカを28杯作ったんです。この話がしたかったんです。今日、3時間でタピオカを28杯作ったんです。
今日、3時間でタピオカを28杯作ったんです!!!!
1時間に約10杯!1杯を作るのにおよそ2分かかるとして、1時間のうち1/3はタピオカのことを考えていたし、時給990円のうち330円はタピオカを作って稼いだお金だということです!
タピオカの量、解凍方法、茹で時間、使うグラス、汚れる器具、タピオカミルクティーやタピオカトロピカルティー等大抵の場合は氷を入れる前にタピオカを入れれば問題がないがタピオカ抹茶ラテの場合はまず抹茶の粉末をお湯でステイしなければならないことまで覚えてしまうほど作りました。かき混ぜることをステイというってことまで覚えてしまうほど作りました。
飽きました。飽き性なんですほんとに。困りました。
何故困っているかというと、実は、タピオカ屋さんでバイトしないかという話をもらっているのです。
それってつまり、1時間のうち1時間タピオカを作らなければならないということで、990円だったとしたら990円がタピオカを作って稼いだお金ということで、うわー。できないよー。タピオカのことしか考えちゃいけないなんて、もうそれは束縛激しいよ~~無理だよ~~私重い人ほんと無理なんですよ~~。うわー。無理だー。

こんなんだから立派なお仕事にも就けそうにないし、幸せな恋愛もできなさそうでしょ。
でも頑張ってお金稼いで、誰かのこと好きになって、生きてます。生きてるんです。

そういえばタピオカの語源を調べました。
“キャッサバデンプンをタピオカと呼ぶのは、ブラジルの先住民のトゥピ語で、でんぷん製造法を「tipi'óka」と呼ぶことによる”
1個もわかんねえ!って笑いました。今好きな人と笑いました。
今日はこれで寝ます。よかった。また1日、越えられましたね。

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