素敵な辞書(山野莉緒)

小学生の頃、クラス全員が国語辞典を買わされた時期があったような気がします。
なんか普段は図書室にあって、国語の時間だけ配られていたような記憶もあるんですけど、どうだったかなぁ。
とりあえず、まあもう、とかく私は読書が好きな子どもでした。代わりに外に出るのは嫌いでした。
みんなが外遊びに行っちゃっても、一人で本を読んでました。夢中だったから全然寂しくなかったけど、勝手にめちゃくちゃ寂しい日もありました。今日は寂しい日なのに、いっつも断るからもう誰も誘ってくれなくて、こっちから行くのはダサいって意地張って、なんかあんまりページも進まないまま鐘が鳴って、今日は寂しかったなぁって思って帰る。いじけて泣いて寝る。起きる。毎夜泣く。やっと誘われる!遊ぶ!満たされる!寂しくなくなったから、また勝手に一人で本を読み始める。もーーりおちゃん!!!!
わがままでかっこつけだった私は、中学生向けか、もっと大人向けだったのか、みんなのより一回り小さいのに文字は倍くらいも書いてあるような、白い辞書を持っていました。
そのうち先生が、調べた言葉には付箋を貼りましょう、みたいなことを言ったんでしょうね。その付箋の枚数を、たしか、私ら子どもは競いました。私は、国語の時間に習った単語はもちろん、他の科目の授業でも家でもどこでも、とにかく調べては付箋を貼りまくって、マックポテトみたいになったきもちわるい辞書を、いつも宝物みたいに抱いて歩いていました。
同じクラスに、勉強熱心で成績のいい、後に生徒会長になる男がいたもので、私と彼の熾烈な優勝争いが繰り広げられたような気がします。勝ったか負けたかは覚えていません。勝ち負けじゃないでしょぉって思うけど、その意地が私の頭や心を豊かにしてくれたから今そう思えるのかもしれないし、んーー。

まだなんにも知らない頃の話です。
例えば、辞書で「かわいい」と引くと、「愛らしい」とか書いてあります。
「愛らしい」ってなんだろう?と思って引くと、今度は「かわいらしい」と書いてあります。
そういうものです。しかたがないことです。その子が知らない言葉を、その子が知っているかもしれない他のいろんな言葉に言い換えて、どうにか伝えようとするんだけど、それまでにその子が知った言葉、見聞きしたもの、生きてきた世界があまりにも違うと、伝わらない。だから最初は難しい。あまりに知らないうちは難しい。
最初にギターを覚えるときみたいなことだと思ったんです。ギターは最初がんばればそこそこ弾けるようになるけど、ベースはすぐ始められて後々めっちゃ難しいらしいです。ん?うるさいなぁ?もう楽器なんか全部難しいに決まってるんだ。
じゃあ人が何を「愛らしい」とするか、言葉やものにどんな意味をつけて、気持ちや行為にどんな名前をつけるかは、

高校時代の先輩の名言にこういうのがあります。
「スピッツって中学のとき好きだった子が好きだったなー」
先輩にとって「スピッツ」はそういう意味を持っています。

誰かが「愛らしいってこういうことだよ」って教えてくれたから、私は今何かを愛らしいと思うことができて、それを誰かに教えることもできるんだと思うし、私の「愛らしい」が大切な誰かと同じ「愛らしい」かもしれないなら、愛らしいものはもっと愛らしい気がしました。
誰かの「うれしい」は「うれしい」になる、「楽しい」は「楽しい」になる、「悲しい」は「悲しい」になる辞書を抱いてたい。
誰かの「こうしたい」が私の「寂しい」になったり、「いやだ」が「わかんない」になっちゃったり、たまに全部が「そっか」「もういい」になっちゃうような、この辞書は、間違ってるから編み直そう。

世界は人でできていて、人のなかに世界があって、誰かに触ることは、世界に触ることだと思います。
私のものの見え方とか、考え方とか、選ぶ言葉とか、伝え方とか優しさとか、そういうのって全部、私のもので、私のできるせいいっぱいで、私のせいだけど、
知らない考えや、知らない言葉や、知らない優しさに触れたら、素敵なその人のことわかるまで考えて、いつか同じ優しさを返せるようになって、私も素敵な人になりたい。
だから素敵なあなたと一緒にいたいです。
素敵なあなたの世界で一緒に生きたいです。

脚本を書いているんですが、昔は悲しかったり怒ってたりするほど書けていて、もう猫がかわいいことくらいしか救いのない世の中がだいっきらいで、負の感情が原動力で、謎の被害者意識とネバーギブアップ精神で、負けるか!!!!って思って生きていたのに、最近は悲しかったり怒ってたりすると全然書けない!って気がついて、今日はちょっとぼーっと過ごしてしまいました。

そういえば旗揚げ公演のインタビュー動画を撮っていたとき、そのでぃーさんに「りおちゃんは撮らないの?」って言われて、言いたくないからから書いてるのに!!!!ほんとだ!!!!って笑い合ったのをたまに思い出して元気出してます。

高校から浅葱色にかけて書いた脚本は、悲しみや怒りやわがままを書いていたんだろうけど、解散公演から小雨観覧車になった今は、誰かへの愛情とか感謝とか、誰かを思う気持ちをもとにできるようになった気がします。
誰かに大切にされた記憶がたくさんあるから、私も私や誰かのこと大切にしたいと思えるようになれました。
自分のことばっかり考える時間が終わって、誰かのこと考えられる時間を、これから生きよう、よね、りおちゃん。

あ!気づきましたか?
そうです!酔ってます!るんるん!
大好きな友達の21歳の誕生日をお祝いしました!大好き!ありがとう!おめでとう!
みんな生きててくれてありがとう
酔ってるから落ちとかもないです!
わあやめろ電気消すなお風呂入るーーんんん
わーい!!!!おやすみ!!!!明日も大好き!!!!

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